愛と平和への道

魂の輝きを目指すブログです♪

日常こそ最上級に

 みなさん ごきげんよう

 昭和後半~平成前半くらいの時代は、よく言われていました。オンオフの切り替えが大切であると。特別と特別でないもの、日常と非日常という二元性のコントラストを、くっきりはっきりと分けることが良いことで格好いいことなのだという風潮がありました。

 これは、気持ちにメリハリをつけることが良しとされていたということでもあると思うのですけれど、そしてそれは悪いことではないと思いますが、結局、どちらかというと、日常はつまらないものであって、非日常こそが生きがいなのだ、日常はスペシャルではなく、輝きの無い意味のないことだ、という負の側面だけが広がってしまったように私には見えます。

 その延長線上に、まさに途切れることのない家事や子育ては、輝きのない日常そのものの代名詞のように扱われ、そのほとんどを担っていた女性たちまでが、冴えない人達でばかにされるべき人達、ひいては、お金を稼ぐことが人生で一番価値のあること、お金を稼いでいる人が偉い人、優遇されて当然の人、という常識が、浸透してしまったように見えます。まぁ、ある意味、列強資本主義がそういうものなのかもしれませんが。

 一方、エネルギーは刻々と進化し続けています。前にも書きましたが、二元性の存在する意味は、中心点がどこかを知るためだと私は考えています。二元性のコントラストを味わうというより、その中心点を見つけ、その中心点に沿って生きることが、求められているのだと思うのです。 

 私は、常日頃より、中庸であることを提唱しています。二元性によって見出すことの出来る中心点に沿って生きることが、中庸です。嫌なことor嬉しいこと、悲しいことor楽しいこと、苦しいことor楽なこと、その対比がすべてクロスする場所が中心点です。その対比をより多く知るほど、中心点は見出しやすいかもしれません。

 相手によって態度を変えない、心のアップダウンをわざわざ創造しない、人間万事塞翁が馬と心得る、そうやって、いつもなんとなくご機嫌で過ごすこと、が、中庸です。

 晴れも雨も雷も風もすべて善であって悪ではありません。雨をまるで罰であるかのように考える人がいますが、むしろ恵みではないでしょうか。遠足の日に雨が降ることを運が無いと考えることも出来るでしょうが、その雨で枯れずにすんだ植物があると思うことも出来ます。

 そういうことです。自分だけに都合の良いようになることが良いことと考えていれば不幸は増え、誰かが喜んでいるということが自分の喜びでもあれば、幸せは増えていくわけです。

 中庸は、一喜一憂していた原因でもあるそのような利己的な自分に氣づき、その利己を断舎利した時に初めて、手に入れられる穏やかでご機嫌な世界です。外界がどこに傾こうが、中心にいれば、てこの原理が働きませんから、さほど影響を受けません。

 家用と外出用を分ける、お客様と家族を分ける、自分と他人を分ける。今までは、それが大事なことでした。けれども、これから向かう未来は、少しずつ、その垣根を低くしていくことが、求められていくことでしょう。

 それは、いつ、どこにいて、誰と、何をしていても、全てがスペシャルであることに本当に気づくということでもあります。損得があると思えば、おそらく常に一喜一憂する日常になるでしょう。しかし、尊徳に生きれば、いつも心は穏やかです。

 唯物主義的優劣をつけず、何事も誰に対しても丁寧に心を込めることが、中庸の始まりです。誰でもない、自分が何事も誰に対しても丁寧に心を込めてさえいれば、日常が最上級になるということです。そして、その中庸マインドだけが、真善美の扉を開くのです。

 もし、300年後の未来から現在を見たならば、今の私たちが江戸時代を振り返ったときに、上士だ下士士農工商だと差をつけていたことを快く感じないのと同じように、今の私たちも発展途上にしか見えないことでしょう。

 中庸マインドを手に入れて、この世の進化の原理である真善美を身につけることで、日常を最上級にしていきましょう。それは、輝く未来にもつながっていきます。

 一は全、全は一。始まりはいつも一人から。

 

■平和ソング「君と歌おう」の歌と手話が学べます!

8月24日(土)9:05~11:00

参加費:1,000円(中学生以下無料)

会場:田端