愛と平和への道

魂の輝きを目指すブログです♪

多様性の時代のコミュニケーション

 

 みなさん ごきげんよう(^-^)

 例えば、電車に乗った時に空いていて、座った時に荷物を横に置いて、スマホやら読書やらに夢中になっていたとします。いつの間にか混雑していたことに気づかずにいると、「荷物がじゃまよねぇ。」「まったくね、ずうずうしいわね。」という会話が目の前で展開されたとします。

 どんな気持ちがします?

 私なら、すごく嫌な気持ちになります。もちろんすぐに荷物を膝に移しますけれど、気持ち良くはないですよね。これ、場合によっては嫌味合戦が発展して、明らかな喧嘩になったり、傷害事件に発展したり、知り合いなら絶交ということにもなったりしますね。

 嫌味って、百害あって一利なしです。何が良くないって、はなから相手に悪意ありきの視点がね、良くないですよね。相手の悪意を前提にしているって、かなり悪意に満ちていると思うのですよね。つまり、嫌味というのは、悪意を引き出して増幅させたい時には有効なんですけれど、険悪になりたくないなら、決して使うべきではない手法なんですね。

 がしかし、嫌味って、一定の市民権を得ています。言う側の立場としては、ストレートに相手に言うよりも、控えめに感じられるからなんでしょうね。でもそれは非常に残念な勘違いですよね。ストレートにいうよりも、攻撃性がより強く伝わってしまうのですから。

 人によって常識さえも異なる多様性の時代には、人に悪意ありきでコンタクトを取るのは、いたってリスキーと思います。重複しますが、悪意は悪意を引き出してしまうのですから。

 多民族国家アメリカ人や、性悪説キリスト教国の人たちは、自分に悪意が無いことを知らせるために、初対面ほど、微笑みを見せる時がありますよね。あのスタンスが、いよいよ日本でも、必要になってきているのだと思います。まぁ、本来は人の悪意を受け取らないことはそもそもコミュニケーションの基本なんですけれどもね。

 先の例で言うならば、ストレートに、「バッグをどかしていただけますか?」とか、「ここ空けていただけますか?」とか、本人に、言えばいいだけですね。それ以上でも以下でもなく、ただ、座りたいということを伝えることが、重要なことです。

 私、言いますよ。少し詰めていただけますか、とか、もう少しそちらに行っていただけますか、とか、バッグの角が当たって痛いですとか、もう少し離れてください、とか(笑)、座っている時に寝てもたれかかってくる男性には、肘でぐぐぐーっと、明らかに意図的に推していることがわかるように、押します。

 ようするにです。ストレートでなければ、伝わらないんですね。当たり前なんですが。遠回りな言動を気づいてもらえなくてさらにお腹の中で怒りを発効させても、病気になるだけです。

 丁寧にストレートにお願いをする。これが大事だと思います。そうです。お願い、です。大違いなんです。相手の悪意を決めつけた嫌味を中空に放つのと、相手を信じてお願いをするのと。

 言う方も言われる方も、相手に敬意を示したきちんとした丁寧なお願いという形式でコミュニケーションするだけで、気持ち良く過ごせるようになります。(嫌味な気持ちでお願いしないで!)

 言いたいことがあると、遠回しな嫌味か攻撃的なストレートの二者択一しかないと考えている人はまだまだ多いと感じますが、新たに、丁寧にストレートにお願いをする、ということを、取り入れることをお勧めします。

 余談ですが、ネガティブなコミュニケーションが一般的である背景には、自分の欲求を満たしてはいけないと思い込んでいる人が多いということが見て取れますね。幼少期の教育がそうさせているのだと思いますが、大人になってからでも、氣づくことで改善されます。

 相手のバックグラウンドが計り知れない時代には、丁寧にストレートに説明する、お願いする、そんなコミュニケーションがお互いに気持ち良く暮らせる場を作っていくと思います。