愛と平和への道

魂の輝きを目指すブログです。

人の粗が気になるときは○○なとき

 みなさんごきげんよう♪

 なんだかね、あの人もこの人も、あ、あ~!え!?うっそ~、なんなの、なにそれ、まったくなってないわ、ひどいわね、あら、信じられないわ(鼻息)、それはこうするものよ(鼻息&ため息)!なんていうふうに、誰かれ構わず、人の粗が目についてしょうがないときがあるかもしれません。

 そういう現象はですね、自分に自信がなくなっているときに起こりやすいんですね。人をさげすむことで、自分で自分を一段高く置かずにいられないくらい、自分で自分を落としてしまっているとき、そうなりやすいわけです。

 自分をおとしめていると、気持ちの余裕も無くなりますよね。そもそも自分を許せないからこそおとしめているわけですから、他人も許せるわけがないんですね。そんな、にわか仕立てで自分が正しかったり偉くなったりした気分に一瞬なれたとしても、なんにもなりませんね。悪循環です。そもそも、優位に立っていたい、という感覚が、どんなもんでしょう?人より劣っているように思えて自分を貶める、というのは、一見謙虚のようでいて、人を優劣で判断しているという点において、すでに基点がずれていますよねぇ。人と比べる、ということもそうですね。

 いずれにしても、1mmの歩みを、自ら認めてあげたいものですよね。人間て、赤ん坊のときに歩き始めるのと、大人になって何か出来るようになるのと、その歩みのスピードは、実は変わりがないのだと思います。転んでも笑ってる赤ちゃんて、多いですよね。ぶつかりどころが悪くてどこか痛かったりすると泣くのだけれども、転んだ、という事実だけで泣く赤ちゃんは、実はいないのではないかしら。けれども、大人になると、ちょっと転びそうになっただけで、もう自分なんて本当にだめだわ価値が無いわ、なんてさげすんでしまうことは、よくあることだと思います。

 出来なくてあたりまえですよね。やっても努力してもうまくいかない(と自分には思える)。もうなにもかも価値がないように思えてくる。それは、みんな同じです。だからこそ、それをどれほどの愛で受け入れることが出来るか、だと思います。一見だめに思えることをどれだけポジティブにとらえられるか。

 こうあるべき、こういう人が出来る人の姿、価値ある人の姿、様々に人それぞれにイメージがあって、そうでない自分が許せない人は多いのだと思いますが、そもそも人の価値に優劣なんかつきません、よね。

 勝手な個人的な価値基準で他人を良い悪い価値がある価値が無いと決めつけていることが、一番価値がないんじゃないでしょうかぁね~。

 どんなときも、人は人、自分は自分、でいたいものですね。自分の中心軸をしっかりと、持ちましょうね。弱いことを認める愛の強さを持ちましょう。

 花は種を植えた次の日には咲かなくて当たり前。木は1年で伸びる身長なんてたかがしれているんです。けれども、それをぐっとこらえて待つ。ひたすら地道に淡々とやり続ける。一喜一憂しない。それでどんな花が咲こうが咲くまいが、実はそれは成功でも失敗でもないと思うのです。やり続けているその事実だけが、価値があるのではないかしら。3分クッキングはテレビでは3分で終わるけれども、下ごしらえに時間がかかっているはずで、野菜を収穫するまでに農家の人の多大なる労力があるわけですよね。それを視野に入れないで、早いほど良いとか、結果の美しさにこだわりすぎるとか、本当にそれが本質かな~とね、よ~く考えてみる時間をとっても良いですよね。本物の花を咲かせるには、時間はかかるものだと思います。やきもきしてはうまくいくものもいかないんですね。

 大切なのは、愛でしょう。愛は、他者を差別無しに敬うエネルギーです。攻撃しないエネルギーです。相手によって態度を変えたり、エゴを中心に置いていると、ばかになっちゃいそうです。愛を中心に、ぶれずにいきましょうね。

 

f:id:mariaaoki:20181019160332j:plain